和光市長選(2021/5/23)

この前の日曜日、和光市長選が行われ柴崎光子市長が誕生しました。

和光市長の松本武洋さんがほぼ3期務めたってことは
自分が和光市に住んでいる今までの間の市長は松本さんであり、
そんな市長が変わるということで色々思うところのある選挙でした。
(基本的にはネガティブな思いが強かったです。)

自分の気持ちの整理と今回感じた思いを忘れないために
感じたことを洗い出しておこうと思います。

今のご時世、自宅で仕事している人結構いると思うんです。自分もその一人でテレビ会議中に選挙カー来たらミュートして、とかやってました。もっと何とかならないの?

ポスト投函されたのは投票日である5/23の3日前くらいだったかな。選挙戦始まると同時に届けるとかできないものなのでしょうか。

  • 決め手に欠ける

どちらの候補を選んだらいいのか、決め手がない選挙でした。自分が情報取りに行ってないだけ?それを伝えるのも候補者のやり方だと思うんですよね。議員経験豊富な候補とド新人で何をやってくれるかわからない候補。最後までどうしようか悩んだ選挙でした。

SNSとか街中でもお互いをディスる情報が飛び交ってました。気分悪くなってフォロー外したくらいです。なんかもっと前向きな議論できないんですかね。

  • イメージって大事

終わってみたらここまで得票数に差がつくとは思いませんでした。浮動票というかどっちでもいい人(自分も含めて)が多かったのか。イメージでなんとなく政治の世界に染まってない候補に託したいという気持ちもわからんでもないなと。柴崎市長の政策は自分には響かなかったですけどね。そもそも直近シンガポールで暮らしてて最近の和光市知らないのでは?とか思ったり。。

すでに期日前投票すましてるのに選挙カーとか駅であいさつとかされても・・って思いません?スケジュールとかもっとなんか違和感ないように組めないのかなって思いますね。(今回の市長選に限らずですが。。)

ざっと書きましたが思い出したら加筆しようと思います。

で、柴崎新市長に対する思いも書いておきます。

『初の女性市長の誕生を』とか『市政に女性の声を届ける』と言っておられましたが、
今の時代『女性』とかその辺を強調するのやめませんか?我々男性はどうすればいいんですか?笑

性別を前面に出すってことはそれを意識しているってこと。
本来性別なんて関係ないのがあるべきですよね?

当選し市長になったのだから『女性だから』とかその辺はもうやめにして
市長としてより良い和光市になるようによろしくお願いいたしますね。

あと松本前市長。
在任中は良い市長だと思っていたんですが辞め方が悪すぎたのでは?
引責と言いつつ後任を出してくるあたり、やはり政治家なんだな、と思いましたよ。

色々書いてすっきりしました。(自己満足)

これからの和光市にそして新市長の手腕に期待しつつ、
自分は和光市生活を楽しみたいと思います。

『生き急ぐ』磯部一郎 著 を読んで

 

生き急ぐ

生き急ぐ

  • 作者:磯部一郎
  • 発売日: 2021/03/06
  • メディア: 単行本
 

 『焦っても結果は出ないよ。ちゃんと基礎を身につけることが大事。自分の立ち位置を把握して地道に努力しないと。』

自分よりも若い経験の浅い社員に対してこう指導することがある。このアドバイスは合っているようで間違っていたのかも知れない。

僕は自分なりに生き急いできた。(つもり)
周りの同年代の社会人と比べて負けたくない、結果を残したいという危機感にも近い気持ちがあるからだ。今はそれなりに技術も身につけて今の会社でもそれなりの立場につかせてもらっている。冒頭の言葉は、危機感も合わせて伝えないと無責任にも取れる言葉である。

"自分のペースでやりたい"

こういって自分の世界を貫き通す社員を何人も見てきた。大いに結構な言葉だが、社会は自分ひとりで成り立っているわけではない。
周りに同じ生業で仕事をする人がいる以上、その中で勝ち残れないと市場価値が落ちていく一方だと考えている。

本書は上述の(僕が考えている)危機感とは別の危機感を認識させてくれた。それは命の最後を意識することである。
大体の人(僕も含めて)は明日、死んでしまうかもしれないということは意識できない。それは明日が晴れ予報だったらきっと晴れるだろうと思うように、明日も同じように生きていて同じような日常がやってくると考えるからである。
『明日、自分は生きていて仕事ができるのだろうか。』
僕自身で言うと、実際に死の淵に立ったことはないので考えることはできても具体的には想像できないのが本音である。いや、死の淵に立ったことがないと考えること自体、傲慢なのかも知れない。明日が当たり前にやってくる保証はどこにもないのだから。

前置きが長くなったが本書の著者である磯部一郎さんは、僕が取締役を務める会社の代表取締役である。数年前、執行役員である僕を取締役に引き上げてくれたのは磯部さんであり、その後も会社の重要な場面で指針を出してくださったりなど僕の精神的支柱ともいえる方である。

磯部さんとは面識はもちろんあるし、本書の内容についても会社での出来事や闘病の状況などから『あの頃かな』、という想像はできた。ただ、僕が認識していた以上に磯部さんの闘病は壮絶なものであり、また、その中で活動されていた内容については非常に驚かされた。

どうやったらあそこまで強くなれるのだろうと思うのと同時に、僕には到底真似できないなと感じたのが本音だ。僕が感じている危機感とは比べ物にならないし、覚悟も磯部さん程できているのか、自信がない。

本書を手に取ったのはご本人から薦められたとかではなく、『磯部一郎』の今を知りたかったから。

会社のことで相談することは多々あれど、磯部さんの幅広い仕事については把握できておらず、この本で磯部さんの今が少しでもわかればと思い読んだ次第。

私が最初に会った時の磯部さんは、パワフルで仕事一筋、ビジョンやビジネスの方向性を本当に熱くわかりやすく伝えてくださるといった印象だったが、現在はそれに人間味が加わり、より魅力的な方になられているのだと感じたところである。

本は読むことによって著者の経験に寄り添い、疑似とは言え考えを共有できるのが魅力の一つであると考えている。

先に磯部さんの真似はできないと書いたが、本書を読むことによって、日常の生活において大事にすべきことや仕事において重視すべきことについて磯部さんの考えを知ることができた。

久々に心が震え、読んでから数日経っているがずっと自分の今の生活を振り返る日々を送っている。

日々仕事に追われているビジネスマンはもちろん、若い世代から高齢者の方まで新しい視座を提供してくれる本であることは間違いない。

ぜひ手に取って読んでみてほしい。

あまり人には相談したことはないが、僕の両親は地元で建材屋をやっており、その後継ぎの関係で悩みを抱えていたりする。いや、僕がはっきりしないのがダメなのだがいくら考えても答えが出ないのが現状。

本書の終盤に磯部さんの出生についての記述があるのだが、その内容を読んで地元の両親ともう少しちゃんと会話しないとなと反省した。お互いの今を共有して双方で納得した形にできればと強く思った。

書評のつもりで書いたが乱文で申し訳ない。(書評というより読書感想文みたいになってしまった)

まだ自分の中で本書の内容がうまく消化できておらず、考えが整理できていないのだ。

ひとつ確実なのは僕は『磯部一郎』という人のファンであり今後とも色々影響を受けていくのだろうな、ということ。

磯部さんの話をこれからもいろいろ聞きたい。

「レンガを積む職人の話」を違う視点で

「レンガを積む職人の話」、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

(聞いたことがない人は↓をご覧ください)

経営コーチ:経営コーチコラム「レンガを積む職人の話」

この話、解釈はいろいろありますが職人の立場での仕事に対する捉え方の違いによって、今後のキャリアに大きな違いが出ますよ。といったものがほとんどです。

僕自身、新人研修でこの話を聞いてへーなるほど!と思ったことを覚えています。

でも最近この話をちょっと違う視点から捉えてみています。

それは職人に仕事を頼んだ側の視点です。

実際の現場では自分で手を動かす仕事の他に
誰かにお願いしてやってもらう仕事があります。

その時の指示の仕方にもこの話は当てはまるのではないかと思い始めました。

現場にいると、いるんですよね。
作業内容だけを伝えて仕事をお願いする人。
『なぜ』その作業が必要なのかを伝えない。

頼まれた側が聞けばいいじゃん!といえばそれまでですが
何かを人にお願いするときにはお願いする側が何のためにそれをお願いするのかを伝えるべきだと思うのです。

何のためかを理解しているかしていないかできっと品質も差が出ますよ。

僕は仕事でプログラミングをたまにやるのですが
全体像を理解し、どのように使われるかを想定して作る場合とそうでない場合は作りも全く違うものになります。

あとから話を聞いて
「それ聞いてたらこんなふうに作らなかったよ。。」
って思うこともしばしば。

結局は仕事をお願いする側とお願いされる側とのコミュニケーションが重要ってことなのですね。

この有名なレンガの話、違う視点から見てみると
コミュニケーションの重要さも示唆しているような気がしてきました。

コミュニケーションがちゃんと取れていれば↓みたいなことにもならないですしね。

そのひとことを言う前に:「気が利かない部下がいて困る」 それって実は自分のせいかも? (1/2) - 誠 Biz.ID

 

 

 

くろ

テレビは早くシェアに舵を切るべき ~シェアの時代~

最近テレビを見ていると
『番組をインターネットに許可なくアップロードすることは違法です』
といったテロップが出てきます。
番組には著作権があり、許可なくアップロードはダメです。

でもこのテロップにどこまで効果があるかは甚だ疑問です。
きっと効果ないんじゃないかな。

誰でも動画サイトにコンテンツをアップロードできるようになった時代なのでそれを規制したい気持ちもわかるのですが、今の時代を考えると単純に規制するだけではもったいないなあと思います。テレビで流れる優れたコンテンツが限られた媒体でしか世の中に出ていかないのは本当にもったいない。

今、話題になるコト・モノはSNSなどでシェアされて広がります。シェアの時代です。
テレビ業界は早くシェアに舵を切るべきです。シェアできるコンテンツをシェアできる形でネットに上げるべきです。CMも削らなければ広告主にもメリットがあります。公式動画としてアップすれば現状、シェア目的で著作権違反している動画をシェアしている人は公式動画をシェアするようになるのではないでしょうか?むしろ今、シェアできない状態なのがおかしいのです。

徐々にネット配信し始めたようですがまだまだ足りません。

ネット配信にやっと真剣になりだしたテレビ局 | 山田肇

期間限定とかシェアの本質からすると意味不明。
シェアは長い時間情報があればあるほど効果を発揮します。

時代を正確に読んで早く対策しないと手遅れになりますよ。

ちょっと話がずれてしまいますが、シェアの時代を感じる話題をひとつ。

ネットの業界では一昔(もっと昔?)ではSEO対策というワードが飛び交っていました。SEO対策=検索エンジン最適化はユーザがある言葉で検索したときに検索結果の上位に来るようにサイトをチューニングすることなのですが、もうその頃はSEO対策していないサイトはダメだというレッテルを張られるくらいの技術でした。あるサイトにアクセスするためには検索エンジンで検索して・・・という流れだったのですから考えてみると当たり前です。しかしシェアの時代となった今、SEO対策の必要性は薄れてきています。

実際、検索エンジンからサイトにアクセスする人は減少傾向にあり、SNSからのアクセスが増えているというデータがあります。

Google含む各検索エンジンからのトラフィックが減少傾向に!原因はソーシャルネットワーク | gori.me(ゴリミー)

シェアの時代というのを感じますね。

余談ですがこの期に及んで僕の会社に「SEO対策していますか?」みたいな電話がかかってくるのですが時代についてこれてないんじゃない?と教えてあげたいです。笑

今はシェアの時代。
ある媒体に限ってコンテンツを提供しているような業界は早く対策を考えた方がよさそうです。

 

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くろ

 

『マーケット感覚』で僕の地元愛媛県の『内子町』をとらえてみる。

一つ前のエントリーで『『マーケット感覚を身につけよう---「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法 』』を書きましたがそこで得た知識を使って考える練習をしてみたいと思います。

題材は何にしようかなぁと探していたのですが
身近で考えることがいろいろありそうな僕の出身地、愛媛県の『内子町』について考えてみたいと思います。

内子町』は都会ではありません。

観光 - 内子町公式ホームページ

産業は農業・林業が主であり、その他には建設業関係、観光などがあり
日本に多くある地方自治体の一つであります。

出身者で有名なのは大江健三郎さんでしょうか。
僕が『内子町』の説明をする際には間違いなく大江さんの名前をあげます。
逆に他に説明してもなかなか特徴を伝えづらいということになるかと思います。

そんなわけで半分は自分が自己紹介で使うため(笑
地方自治体の中でどのようにすれば『内子町』の魅力をアピールできるかを考えてみたいと思います。。

僕自身、内子の良さというのは『田舎』であることだと思っています。
『田舎』であることをもっと推していくべきです。
山があって川があって、空気も綺麗で観光資源があって食べ物もおいしくて。
内子町』のこれらはどれも『田舎』という軸で一貫性が見いだせます。

よく都会のマネをして頑張っている地方自治体がありますが
都会のマーケットで戦っても勝つ確率は限りなく0。
そんなことより、独自資源を見出してそれを売り込んだ方が効果は確実に高いです。
で僕は『内子町』の独自資源は『田舎』だと思うわけです。

『田舎』マーケットはまだまだブルーオーシャンでしょう。
バランスよくいろいろなことをやるよりも『田舎』を前面に押し出して
内子町』の良さをアピールすべきだと思っています。

・『田舎』の生活を体験できる宿
・『田舎』の食事
・『田舎』独特の習わし
・『田舎』にあって『都会』にないものの発見
などいろいろな『田舎』を感じてもらう。

都会の人は疲れています。
癒しを求めて自然の多い場所に長い時間車を運転しています。
LCCなど格安で日本中旅できるようになった今、地方だからといったハンディキャップはなくなりましたし
幸い、『内子町』は空港へも車で50分ほどで行ける立地です。

ふるさと納税』が世間をにぎわせていますが
納税だけではなく、人も呼び込んでみてはどうでしょう?
きっと需要とてもあると思います。

少なくとも僕は『内子町』が大好きですし地元の発展の力になりたい!

こういったトピックス↓も追い風になりますよね。
地方創生拠点となる「道の駅」を選定しました【全国モデル「道の駅」6箇所】


『マーケット感覚』は地方自治体に必須のスキルでしょう。
(ちきりんさんも本の中で言っていましたね)

 

『マーケット感覚を身につけよう---「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法 』を読んで

ちきりんさんの新刊、
マーケット感覚を身につけよう---「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法
をやっとのことで読み終えました。
僕は本を読むとき、だいたい1〜2日で一冊読むのですがこの本は一週間くらいかかってしまいました。長くかかったのはサボっていたわけでもなく、内容があまりにも濃く、丁寧に読んでいたからであります。

ちきりんさんの著書は全て紙の本、または電子書籍で購入し、読んでいますが間違いなく最高傑作でしょう。

いや今までの本ももちろん素晴らしいのですが、この著書までは世の中でよく知られている論理思考や旅のこと、仕事についての考え方をちきりんさん独自の視点で述べたものがほとんどでした。

しかし今回は世の中においてほとんど言語化されていない『マーケット感覚』について。ちきりんさんの持ち味であるわかりやすい文章で書かれています。世の中に全く新しい視点を提供するというちきりんさんの思いが『これでもかっ!』てくらい感じられます。

この本を読み、マーケット感覚の存在に気づくと僕の身の回りで不思議に思ってモヤモヤしていたことがすっと腹におちました。例をあげましょう。

(本の内容に触れるとネタバレになるので身近な話を例にします。)

知り合いが資格の勉強をしているという話を聞いたときのこと。難関資格でその資格を取れば食いっぱぐれないと話していたのが印象的でした。でも資格を取れば食いっぱぐれないというのが僕にはどうも本当の事とは思えずモヤモヤ。

その後、その人はめでたく資格を取得するのですが食いっぱぐれないどころか取得する前とほとんど変わらない生活を送っています。(今も進行形)

資格の勉強をすること自体は素晴らしいことです。しかし、それだけで食べていけるなんてことはないのです。
どうやったら食べていけるかは『マーケット感覚』にかかっているのです。
世の中で需要があるのかを敏感に感じ取りながらアクションを起こしていく。
その資格に需要があるのかなんて少し調べればすぐにわかります。今の弁護士や歯科医師の悲惨な状況を見ると難関資格だけで食べていくなんてことは不可能でしょう。

もう一つ。仕事の現場ではよく『論理的に考えろ』という言葉を耳にします。
論理思考ブームで知識が体系化され、ビジネスマンの必須スキルのようになってきたためでしょうか。
この言葉にいつも僕は違和感を覚えていました。
たしかに物事を突き詰めて考えるときなどには論理思考は強力な武器になるでしょう。
でも論理思考"だけ"では考えるまでで終わってしまいます。
考えたものが活きるかどうかを左右するのが『マーケット感覚』です。

仕事を頼まれたときに誰がどのようなものを欲しているのか(需要)を意識して思考に落としていく。
相手の見えない仕事ほど意味のないものはありません。
論理思考の前に『マーケット感覚』によって考えるべきものを選別することが重要でしょう。

会社員で営業でもなく社内の人と仕事をするだけだから『マーケット感覚』なんて必要ないって思っているアナタ。
決してそんなことはありません。
だってアナタはその会社における出世市場に置かれているのですから。(出世を目指さない人もいますが・・・)
出世するのは仕事が抜群にできるからだけでは決してなく、
出世市場において出世を左右する、上司の需要に応えることができるかです。
『仕事さえできればいつか認めてくれる』なんて幻想です。
『いいものを作れば買ってくれる』って考えている日本の家電メーカーの迷走と同じですよ。

長々と書きましたが本を読んで長年モヤモヤしていたことに対して本当にすっきりしました。
これからは堂々とこの本読んだ方がいいとアドバイスできそうです。笑

最後に、この本自体がちきりんさんの『マーケット感覚』による産物だと読み終えて気づきました。笑(だって世の中で形になっていなくて、でもものすごく需要がありそうな考え方の本ですからね。これから『マーケット感覚』ブーム来るかもしれませんね。)

 

なぜあなたの周りには雨男・雨女が多いのか?

僕「今週末の旅行楽しみだなあ」
(ぽちっ)
天気予報「週末は雨です。」
僕「まじか。。さすが雨男だな、自分。」

こういうのみなさん経験があるのではないでしょうか?

何を隠そう僕の周りは雨男・雨女ばかりです。
晴れ男・晴れ女にはほとんど会ったことない気がします。

ということでなぜ世の中には雨男(雨女)が多いのか、
そこにはどのような心理が働いているのかを考察したいと思います。

まず、雨について皆さんはどのようなイメージを持っていますか?
・じめじめして嫌だ
・足元がぬかるんで歩きにくい
・洋服が濡れてしまう
等、ネガティブなイメージを抱く方が多いのではないでしょうか。
ネガティブなイメージというのは人間の記憶に残りやすいという調査もあるようです。さらに何か楽しみにしているイベントの時に雨が降るとより記憶に残りやすくなりそうです。
この記憶の残りやすさの違いにより楽しいイベントの時にはいつも雨のような(実際はそうではないのに)気がして⇒雨男・雨女という感じになるのでしょう。

ところで日本において一年で雨が降る日はどれくらいなんでしょうか?

気象データ(都道府県データランキング)

で2013年の年間降水日数を見たところによると都道府県でばらつきはあるものの
平均で126日、約3日に1日は雨が降っているようです。

どうですか?思ったより多いのではないでしょうか?

この割合で行けば何かのイベントの時に雨が降る確率は割と高いのかもしれませんね。自分が予定を組んだ時に雨が降らないのはとてもすごいことだと思えるかもしれません。

・ネガティブなことによる記憶への残り方の違い
・実際に雨が降る確率(約3日に1日)
によって自分が雨男・雨女と思う人が多いのは当たり前なのかもしれませんね。

最後に余談ですが雨男・雨女というと雨を呼び起こす人のイメージを抱く人が多いと思いますが雪男・雪女というと妖怪だったり得体も知れない怪物を思い浮かべたりと全く違うイメージになるのは面白いですね。笑

くろ